高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

直観が働きはじめたのは40歳を過ぎたあたり

私の学者としての人生は随分迂遠な道をたどってきたように思われる。そもそも恩師白川静が膨大な仕事を積み上げて来たので、先ずそれを一通り読んで理解するところから始めなければならなかったという事情がある。その上、恩師の求める内容が並大抵のもので…

「技」としての「思考」

「考える」という行為は武道(武術)における「技」と同じだという考え方は、或る武道家から教えられたものである。やはり学生時代に出会った重要な「教え」で、振り返ってみて全面的に同意できるものである。「技」としての「思考」。技を創り上げるつもり…

「大学は頭の悪い者が行く所だ」という考え方

以前書いた文章の中で次のようなことを書いていた。《私は父親に進学を反対されるような貧しい境遇にあったため、本を買う金がなかったということも関係しているのだが。だから高価な書物は友人が読まなくなった本を借りて読んだりした。》 この時父親が反対…

「金文語彙索引」を作成することによって得たもの

「金文語彙索引」を全て手仕事だけでやったことによって、金文の語彙を「身体が覚える」という趣旨で書いたことがあるが、翻って考えてみればそれ以外にも色々得たものがあることに気付いたので、今回改めて書き留めておくことにする。 この作業は一見単純作…

思い出すことなど(3)

大学に進学するのを父親から反対されたことについては、以前書いたことがあるが、実は高校に進学する時も反対され「〔室町に〕丁稚に行け!」と言われたのだ。ろくに勉強もしないで某運動部に精を出していた頃なので、返す言葉もなかったのだが、新聞配達の…

拙論「殷周革命論」のファイル

「殷周革命論」と題して連載してきたものの「金文篇」が一応一段落しました。正直なところ、殷周革命に関する謎解きがここまで出来るとは思ってもいませんでした。と言いますのも、当初は、陜西省岐山県の「周公廟遺址」から出土した甲骨文(殷末周初のもの…

2020年度連続公開講座(全3回)のお知らせ(変更あり)

今年は西周後期の代表的な青銅器である《毛公鼎》を読みます。 実施日時:11月28(土)14:00~16:00 3月13日(土)14:00~16:00 3月27日(土)14:00~16:00 会場:立命館大学衣笠キャンパス 創思館カンファレンスルーム 講師:高島敏夫 内容: 去年は西周…

思い出すことなど(続き)

昨今の大学人の学問のあり方について痛切に思うことを考えているうちに、またまた若い頃のことを思い出した。若いと言っても多分三十代には入っていたと思う。だからこそ聞いた話しなのだが、やはり私の親友(その頃某国立大学の助教授)が先輩の学者から聞…

シン・ヒョンスのバッハ「シャコンヌ」を聴く

久しぶりにシン・ヒョンスを聽いた。しかもバッハの「シャコンヌ」。実は彼女が「シャコンヌ」をどんな風に弾くだろうかという漠然とした想定を以前からしていたのである。予想をはるかに超えるような気魄のある重厚なシャコンヌに出会うことになった。さす…

アイデアを書き留める。発展させる。精度を上げる。

私の場合、アイデアが浮かぶのは机に向かっている時よりも、移動中であることが多い。散歩をしている時にもよく浮かぶのだが、バスや電車など乗り物に乗っている時に、ふと閃くことが多い。いつも何かしら考えが浮かぶので、それを書き留めておかないと、そ…

近況など

こういう状況だが、私自身の研究者としての仕事は今年からまた新しい段階に入る。「古代語の文字表現」という誰も足を踏み入れることのなかった、重要な問題に入っていく。この問題は、当初予定していた『金文評釈(仮題)』と『金文語彙辞典(仮題)』の内…

漢文訓読の思い出(2)──漢漢辞典『辭海』を使い始める

先日書いた文章をまた読み返していると、一つ書き加えておいた方が良いことに気付いたので補足しておきたい。1回生で小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)をマスターし、2回生で牛島徳次『漢語文法論(古代編)』(大修館書店)を読むという具合…

漢文訓読の思い出

新型コロナ肺炎のことが気がかりなのは確かだが、やるべきこと、守るべきことをしっかり実行しておいて、後は日頃できないことを試みたり、時間の関係でやめていたことに打ち込むのも一つの過ごし方である。中文の学生なら漢文の読解力を養うのに絶好のチャ…

ネットに愚痴や悪口を書く人々とは?

以前書いた文章に少し手を加えて再度アップする。 「ネットに愚痴や悪口を書くとダークサイドに堕ちる5つの理由」という文章を目にしたので要点だけ紹介する。筆者はコラムニストの石原壮一郎氏とのこと。5つの理由は下記。なるほどと思う。詳細は当該文章を…

曲阜にて(目次)

曲阜にて(1)──鼓楼の近く http://mojidouji.hatenablog.com/entry/2019/09/29/202452曲阜にて(2)──孔子郵便局 http://mojidouji.hatenablog.com/entry/2019/09/30/202212曲阜にて(3)──曲阜明故城の南城門 http://mojidouji.hatenablog.com/entry/20…

思い出すことなど

拙著をめぐって書いた文章を久しぶりに読み返していて、学生時代のことをあれこれと思い出した。大変な時代だったが、二人の先学の言葉に従ってこんなことをやっていたのである。冒頭は拙著『西周王朝論《話体版》』についてのコメントとして書いた文章なの…

「頭の柔軟な若いうちに」とは?

頭の柔軟な若いうちにこれこれのことをしておけ、という言葉は私の若い頃によく聞いた言葉である。だがそれは、必ずしも若い者の頭脳が柔軟だということを意味するわけではない。また、必ずしも年をとった者の頭脳が硬直していることを意味するわけでもない…

連続公開講座「西周前期の雄篇《大盂鼎》の銘文を読む」全3回

[附記] 第2回は、第1回の銘文の要約から始めますので、第2回目から出席される方にも理解できると思います。第2回目の銘文を読む過程で、カリスマと徳との関係など、かなり重要な問題に言及します。第1回で話題にした「殷周革命」や「天の思想」とも関連…

曲阜にて(13)──顔子廟(顔廟)・孔林と飲食店

顔子廟の入口の門。門の向こうに次の門が見える。このような構造は周公廟の構造とよく似ている。植えられた樹木が柏と檜という点でも同じである。 顔子廟は入場料は無料なのだが、午前中だったからか見物客が少なくひっそりしていた。女子学生風の3人連れが…

曲阜にて(12)──曲阜の城壁(北壁)その他

今目にしているのは、曲阜明城の北垣(北壁)である。城壁の北側に立っているので壁は西方向に伸びている。(東方側はこの後に掲示する。) 曲阜を囲む城壁は明城・漢城・周城の三重構造になっている。一番外側が西周時代の城壁だが、漢城との距離が東西長・…

曲阜にて(11)──孔廟で団体旅行の中に

孔廟は宿から直ぐの所にあったので、都合3度入った。私の場合、顔パスになっているので入場料は不要であった。考古学的な探索を終えた後、気分転換と路上観察を兼ねてふらっと入ってしまう感覚である。 孔廟は孔林のように広いわけではないから、3度目とも…

曲阜にて(10)──孔廟内を巡る

「大成殿」前。孔子を祭る孔廟でこういう光景を目にするとは思わなかった。一昨年行った陝西省扶風県の法門寺の祭壇の前では、五体投地のように深々とお辞儀をする敬虔な仏教徒を何度も見たものだが、我々今の日本人は屋外でこのようなお辞儀をする習慣はな…

曲阜にて(9)──孔廟に入る

曲阜の入口は「萬仞宮牆」と記された半円形の明代の城壁の門だが、ここはまた孔廟の入口でもある。右の石碑には「曲阜」、左のには「孔廟・孔府・孔林」と記されている。 城壁の外側は例によって城壕になっている。壕に沿って植えられた柳が見事だ。 堂々た…

曲阜にて(8)──路線バス(待機中)

曲阜市内を走る公共バス(公交)がこんな所に? という感じなのを撮ったもの。件の古城村を出て直ぐのところ。曲阜市内を走るバスは実に多種多様で、遠くは湖北など他省からの観光バスも見かける。 孔廟・孔府・孔林(三孔)などの観光地を巡るだけなら「曲…

曲阜にて(その7)──周代の東の城壁跡

「魯国故城国家考古遺址公園」 実は尼山(孔子生誕の地と言われている土地)に行くつもりでバスに乗ったのに、途中で下車したのがこの標示のあるところ。大層な名前がついているが、行ってみると西周時代の東の城壁の南端部であった。『曲阜魯国故城』(前掲…

曲阜にて(その6)──舞雩台。

現地から一度レポートした所だが、少し時間をおいて振り返りながらまた書いてみることにした。現在の地名としては「舞雩台公園」。ちょうど曲阜市公安局の真南にある。バスで来る場合も「公安局」というバス停で下りて直ぐの所。 雨乞いの儀礼を行なった場所…

曲阜にて(その5)──『孔子故里志』

『山東省志・孔子故里志』《山東省志71》(中華書局 1994年)767頁。 山東省地方史志編纂委員会編 孔子と曲阜とに関する総合的で詳しい書物である。曲阜に行く前にこういうものを読んでおきたかった。行く前に私が読んでいたのは、ガイドブック類の他、古典的…

曲阜にて(その4)──周公廟

曲阜の町は西周時代に始まる。その曲阜の町の中心に高台があり、そこに周公廟が建造された。この高台から町全体を見下ろす風景を見たいと思って来たのだが、生憎の曇り空で見通しが悪く、眺望はかなわなかった。期待していた周公廟附属の博物館も非公開と分…

曲阜にて(その3)──曲阜明故城の南城門

曲阜の南城門である。ただし明代の故城の南城門である。この道(鼓楼南街)に沿って門をくぐり真っ直ぐ北上すると件の「鼓楼門」に着く。距離にして1km足らずだから歩くのにもちょうど良い。鼓楼からさらに同じ道を1kmほど北上すると北城門(明故城の)に…

曲阜にて(その2)──孔子郵便局

孔子郵局(孔子郵便局)。名前からすると私設なのかと思ったが、よく見るといわゆる普通の郵便局である。これも孔府の傍にあるからそのように命名したのだろうが、曲阜ならではのことである。入口のガラス扉には『論語』冒頭の有名な章句が記されている。「…