高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

「大学は頭の悪い者が行く所だ」という考え方

以前書いた文章の中で次のようなことを書いていた。
《私は父親に進学を反対されるような貧しい境遇にあったため、本を買う金がなかったということも関係しているのだが。だから高価な書物は友人が読まなくなった本を借りて読んだりした。》

 この時父親が反対した時の言葉は「大学なんていう所は、頭の悪い者の行く所だ。人に教えてもらわないとできない者が行く所だ。頭の良い者は大学に行く必要などないのだ。」というものだった。私は父親から一度も褒められたことがなかったので、「頭の良い者」というのが私のことを指しているはずはなかった。そしてなぜそういう奇妙なことを言うのかは薄々知っていたが、その時私は「そんなことはない」としか言い返せなかった。父親の態度には断固たるものがあり、到底崩せそうには思えなかった。(兄弟の中で高校に進学するのを反対されたのは私だけだというのは以前に書いたことがある。)その後も折あるごとに父親への説得を続けた。何日かどころか何カ月も費やしたのである。どのように言えば納得してくれるだろうと、様々な角度から真剣に考えて説得を続けた。最終的には不承不承「そこまで考えるのなら勝手に行け。」ということになった。勿論すでに現役を引退していた父親が学費を出してくれるわけではないのだが。


 それはともかく、父親のいう「頭の悪い者が大学に行くのだ」という逆説とも思える言葉は、彼が自分の人生から得た哲学であった。何とか説得したものの、その言葉は無視しがたく私の中に残り続けた。なるほど、父親は高等小学校を卒業しただけだったが、理解の仕方が的確であることが多く、言葉数が少なくても父親の口から発せられる言葉には打ち消しがたい説得力があった。そして字も上手かった。親戚には医者や裁判官がいたので、血筋としては勉強ができないわけではなかったと思うが、経済的な事情から進学しなかった。そして職人の道に進んだ。その方面でも研究心が旺盛で高い技術をもっていたことは、かなり有名だったようだ。父親の若い時の写真を見ると、まるで旧制高校の学生のように見えたのが面白かった。


 その後随分経ってからだが、同じような言葉を、将棋の米長邦雄名人が著書の中で記していたのを目にした時は思わず苦笑した。兄は頭が悪いから東大に行った、私は頭が良いから将棋の世界に入った、という言説である。この言葉も父親の言葉と同質のものを感じて「なるほど」と感じ入ったものである。やはり異を唱えようのない説得力がある。そして今も時々この二人の言葉を思い出すのである。今の新型コロナに対して適切な対応を考えることができない、能力の低いブッキッシュな「専門家」をテレビ画面やマスコミで目にする今のような情況では尚更である。具体的な人間世界が描き出せず、数字でしか判断できない雑な思考力の持ち主であるのが無能な証拠である。