高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

漢文訓読の思い出(2)──漢漢辞典『辭海』を使い始める

 先日書いた文章をまた読み返していると、一つ書き加えておいた方が良いことに気付いたので補足しておきたい。1回生で小川環樹・西田太一郎『漢文入門』(岩波全書)をマスターし、2回生で牛島徳次『漢語文法論(古代編)』(大修館書店)を読むという具合に進めていたと書いていたが、それと並行していわゆる漢漢辞典を使い始めたのが非常に有益だったことも記しておきたい。これは恩師白川静から受けたアドバイスである。本当に漢文を読めるようになりたいのなら、漢漢辞典を使いなさいということだった。こういう指導は講義の時などにされるのではなく、先生から直接引き出す形で得たものだった。
 先生から勧められたのは『辭源』(商務印書館)と『辭海』(中華書局)だったが、どちらかと言えば『辭海』の方がお好きだったように感じられた。奨学金の出る日が待ち遠しくて彙文堂に直行した。上下2冊の版で文字も大きくて見やすかった。古典を読むために使うのなら『辭源』の方が良いとする向きもあるが、その日店頭にあった『辭海』を買った。乏しい財源の中からやりくりするわけだから、2種類の漢漢辞典を持つことなど到底ありえなかった。むしろこの1冊を徹底的に使い込もうと考えた。探している文字の頁がぱっと開けられるように使い慣れる必要があるという先生の助言があり、そうなるよう心がけた。自分自身を電子辞書化するわけである。目標というよりも楽しみの一つになった。
 ただ、『辭海』だけで宋刻本『文選』(中華書局)を読むのは当時まだ力不足で、分からないところは貝塚茂樹・藤野岩友『漢和中辞典』(角川書店)も見て確認するようにしていた。『辭海』だけを見て意味が直ぐに分からなくても暫く自分の頭で考え、自分なりに適切な訓みになるよう努めた。高校までの勉強のように正解があるわけではなく、自分で的確な解に行き着くように努めるのである。そのために訓みの是非を色んな角度から検討することになる。誰に教えられるともなく、そういう作業を自分でやっていた記憶がある。こんなことを書いているうちに、岡潔小林秀雄の対話『人間の建設』(新潮文庫)の冒頭「学問をたのしむ心」のやりとりを思い出した。小林の言葉だけを今は引くが…。「学校というものは、むずかしいことが面白いという教育をしないのですな。」 「むずかしければむずかしいほど面白いということは、だれにでもわかることですよ。そういう教育をしなければいけないとぼくは思う。」

 後輩たちが持っている『新字源』(角川書店)が出たのは少し後のことで、私は『漢和中辞典』を使い続けた。『新字源』との違いは、漢字の現代音を拼音符号で記しているか否かの違いで、『辭海』を使うための参考辞書に位置付けるなら特に違いがあるわけではない。財源さえあればそれも購入していたとは思うが、それまで使っていた『漢和中辞典』への愛着も強かった。こうして主に使う辞書は『辭海』ということになった。付録もけっこう楽しめた記憶がある。
 諸橋轍次大漢和辞典』(大修館)が身近にある環境ではなかったので、一から自分で考える環境にあった。実はこの一から自分で考えなければならない環境がむしろ、自分を育てる上では大切なのではあるまいか。当時同じ学生でも様々な文学者の全集や話題の本などを次から次へと大量に買っている人があって、私には羨望の的だったが、かえってじっくり読む時間が持てない環境でもあるように感じた。もともと財力のない環境に育った者はその中で自分を磨くしかない。充実した辞書を持てる人は効率という面では有利なのかも知れないが、漢和辞典の類だけに頼っていては、文字や言葉の意味を日本語の枠組みの中でしか考えない環境から抜け出しにくいのではあるまいか? そもそも意味とは何か? という問を発したことがあるだろうか? 「何を言い出すのか?」と感じる人もあるだろうが、分からない人に対しては説明が長くなるので省略する。

 以前白川先生の追悼文を書いた時にも、思い出の一つとして『辭海』を使う利点について書いたことがある。その一節を引用してこの短文を閉じることにしたい。

 《私は二回生から『辭海』を使うようになった。漢漢辭典を使うのは最初は難しいと感じたのだが、慣れるに從って大きな效果が出てきた。何よりも、辭書を引くたびに、そこに引用された重要な經書などの斷片を讀むことになるので、漢文にも早く馴染めるようになるのだ。》
 有名な文献の断片を読むだけではあるが、その文献を実際に読む段になった時に、あまり抵抗感がなくなっているだけではなく、その文献に対する自分なりの予備知識を蓄えることになる。これが大きかったように改めて思うのである。