高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

内田光子 モーツァルト『ピアノ協奏曲25番』

内田光子のピアノでモーツァルト『ピアノ協奏曲25番』を聴いた。久しぶりである。私はもともとモーツァルトのピアノ曲をあまり聴かなかったのだが、フリードリッヒ・グルダの演奏する20番を聴いてからというもの、機会を見つけては聴こうという気持ちが…

雅頌の「魚」から、「墓門」に入る

昨日の《白川詩経研》は予告通り、雅頌における「魚」についての調査報告から始まりました。雅頌では魚が祖霊を暗示するものとして歌われていることや、霊的な存在としてと見立てられていることが述べられました。前回までにやった国風では、女の隠喩である…

《国風》に見える「魚」(その1)

先週の《白川詩経研》もまた妙に盛り上がりました。《国風》に見える「魚」が必ずしも女性の隠喩とは限らない、しかし男性とも断定しがたい。強いて言えばやはり女性のような、といった調子でしたが、聞一多の言い方としては「匹偶」ですから文字通り受け取…

《陳風》について

今日は《陳風》「衡門」から読み始めました。この「衡門」はなかなか曲者で、含みのある表現が多いだけでなく、説明がしにくい側面がありました。恋の歌というよりもかなり猥雑な内容であるらしい。「魚を食う」という表現がやはり話題になりました。「魚」…