高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

「頭の柔軟な若いうちに」とは?

 頭の柔軟な若いうちにこれこれのことをしておけ、という言葉は私の若い頃によく聞いた言葉である。だがそれは、必ずしも若い者の頭脳が柔軟だということを意味するわけではない。また、必ずしも年をとった者の頭脳が硬直していることを意味するわけでもない。もしもそう思っているのであれば、それはその人自身の頭がすでに硬直化していることを意味するのである。謂わば若いくせに頑固であり、年輩者よりも柔軟だと思い込んで守り(自己防衛の態勢)に入っていることを意味する。「頭の柔軟な若いうちに」というのは、「年寄りのように守りに入ってしまわないまだ若いうちに」、あるいは「物事に対して謙虚で素直に取り組む姿勢をもっているうちに」とかいう意味であって、自分の頑固さを棚に上げて他人を槍玉に上げるような人種のことをいうのではない。
 若かろうが年輩者であろうが、若い素直な姿勢を持っているうちにやっておくべきこと、経験しておくべきことをしておかないと、頭脳は硬いままだということである。勘違いをしてはいけない。頭が柔軟な者の共通点は「素直」だということである。これは「従順」という意味ではない。将棋や囲碁の世界などでよく耳にするところの、よく伸びる者は「素直」だという言葉と同じような意味で言っているのである。この言葉の意味が分からない者はひょっとしたら「素直」ではない人かも知れない。あくまで「ひょっとしたら」という意味だが。若いのに、頭脳がカチカチに硬直した年寄りみたいな者がいるのは、自分の現状に満足しているかどうかは別として、すでに守りに入っているということである。柔軟性を育てる道を自分自身で捨てている、ガチガチの頭脳の持ち主だということである。このようなことは、科学技術が発達した現在でも、昔と全く違わないのである。いやむしろ、科学技術が発達し便利になった時代の方が、そうではないように見える過去の人間よりも自分を磨く機会を失いやすいのである。

 素直。謙虚。柔軟。センスの好さ。というように言い方が変わるのは、その局面によって捉え方(切り込み方)が変わるだけのことで、本質的には同じものである。その根底にあるのは「自己批評能力」だと思う。