高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

003文字という概念【甲骨文の誕生003】

     文字とは何か?──最古の文字とは?(3)

     文字という概念

 前回、最古の文字とは何かという問題を追究するために最も必要なことが何であったかが明らかになりました。文字とは何かということをはっきりさせておかねばなりません。そうしないと最古の文字であるかどうかを判断しようがないということです。この当たり前のことに意外に気付かないものです。人様のことを言っているのではありません。かつての私も含みますし、ほとんどの人がそうだったような気がします。しかしこのことも一旦気付いてみると、そう考えていたことが嘘のように思えてきます。そしてそこから他人事となるのです。

 今回この問題を考える上で、東西の二人の先学の述べていることをご紹介しながら進めていきたいと思います。一人は中国の文字学者・裘錫圭。もう一人はフランスの古代メソポタミア研究者・ジャン・ボテロです。裘錫圭氏は、現在は上海の復旦大学の「出土文献与古文字研究中心」(注:中心とはセンターのこと)の中心人物として、近年陸続と出土する戦国時代の竹簡の整理と研究に今なお多忙な研究活動をしている人です。『文字学概要』に彼の文字学の考え方がまとめられています。一方、ジャン・ボテロはフランスの古代メソポタミア研究とりわけアッシリア学の世界的な権威として知られている人です。楔形文字もかなり読める人のようですし、この方面の碩学と言っていいでしょう。ボテロの場合はメソポタミアの文字が象形文字から楔形文字へと移行していく過程を想定した発言になっています。
 先ず、裘錫圭氏の文字観からご紹介します。「果して文字なのか──わが国の新石器時代に用いられた符号について」(「文物天地」1993年第3期所収)

   

新石器時代の記号が文字であるかどうかということを検討するに当っては、先ず我々のいう「文字」の定義を明確にしておかなければなりません。文字の定義の問題については、言語文字学者は狭義派と広義派との両者に分かれます。狭義派は、文字とは言語を記録する記号だと考えます。広義派の場合は、大まかに、人々がそれを使って事柄を記したり情報を伝達したりして、一定の意味を表す図形と記号をすべて文字と呼ぶことができると考えています。もしも広義派の立場を採りますと、新石器時代の記号はすべて文字と見做されてしまいますので、狭義派の立場を採らないと、文字であるかどうかを検討する意味などないわけです。
 その外に私たちが知っておくべきことは、文字が誕生するには、そのための一定の社会条件が必要なだけでなく、言語を十全に記録するのに必要な文字体系が形成されるための、とても長い過程が必要だということです。非常に原始的な野蛮人でも、一頭の鹿を指差しながら「鹿」という言葉を発することはできますが、このことは、必ずしも「鹿」の象形文字の誕生を意味するわけではありません。社会というものが、人々が言語を記録する手段を用いて事柄を記したり、情報を伝達したりする必要性を感じるまでに発展した時にはじめて(ここで言う記号は図形式の記号を含む)、文になった言葉を記録するまともな試みが現れるのです。これが文字形成過程の始まりの真の指標なのです。十全な文字体系が形成される以前に誕生してしまった文字は、普通、語句の中の部分的な言葉を記録することしかできないばかりでなく、図画式の表意手段もしばしば交えて使うことになります。普通は、こうした熟しきらない文字を原始文字と呼びます。一般的に言いますと、新石器時代にはまだ十全な文字体系を形成し終えるだけの条件は存在しておりません。そういうことですから、私たちが検討するのも、実際には、新石器時代の記号が原始文字であるかどうかの問題になるわけです。(高島訳)


 文字とは何かということを改めて考える時の考え方を、狭義派と広義派に分類している訳ですが、「文字とは言語を記録する記号だ」とはっきりしているのが狭義派です。裘氏はもちろん狭義派です。一方、広義派とはどういうことでしょう? 裘氏によれば「大まかに、人々がそれを使って事柄を記したり情報を伝達したりして、一定の意味を表す図形と記号をすべて文字と呼ぶことができると考えています。」ということです。要するに何かを意味しているらしいと思えるならば、それは文字だというのが広義派ということになります。図形や記号も含むわけですね。その図形や記号が何を意味しているのか、読み取れるのかどうか分からないものも含むのでしょうか? 多分そういう考えなのでしょう。しかしこの考え方を極端に広げますと、絵画もその中に入ることになるのではないでしょうか? 旧石器時代の中後期の絵画が世界のあちこちで発見されていますが、これらこそが最古の文字ということになりそうですね。さあこうなってくると困ったことになります。絵画も文字だと言うことになると。ただ、絵画が文字の始まりだということも起源的な意味でならいうことができると思います。象形文字も一種の絵画だといえば必ずしも否定できないことですから。絵画も象形文字も一種の抽象化が行なわれているという点では、通じるところがあります。抽象化は象徴化ともいえます。あるいはシンボル化という言い方もあります。人間は絵画を描く能力を具えた時点でこのシンボル化能力を具えたと言うことができます。
 ここで思い出しますのは、丸山圭三郎ソシュール言語学の基本語彙の一つとしての〈ランガージュ〉の概念を説明する際に、シンボル化能力という言葉で表現していました。人間が持っている能力の一つとしてのシンボル化能力ということです。シンボル化能力というのは言語に限らず、さまざまな表現分野、芸術の分野に現われます。線や色を使って描く絵画、何か材料を用いて形を作る造形芸術、音を使って演奏する音楽等、これらは表現手段が異なるだけですべて人間のシンボル化能力の発現と捉えられます。近年、旧石器中後期の壁画が数多く発見されていますが、人類が絵画を描く能力を具えていたということは、このシンボル化能力を獲得していたことの証しです。ソシュールの〈ランガージュ〉という概念は、そのシンボル化能力が言語表現の形で発現したことをいうのではないか、と考えることができます。そうしますと、象形文字を考え出す能力も潜在的にはすでにあったことになります。しかしそう単純に進まないのが人間の歴史であり文化です。ただこの考え方を踏まえますと、「記号」から「象形文字」へと段階的に進むという考え方があまり根拠をもたないことになります。むしろ、言語そのものを音声以外で表現する必要性があるかどうかという問題になってきます。
 それはともかくとして、文字とは何かを改めて考えてみて分かることは、広義派というのは文字の概念が非常に曖昧だったということが明らかになったということです。そこで「もしも広義派の立場を採りますと、新石器時代の記号はすべて文字と見做されてしまいますので、狭義派の立場を採らないと、文字であるかどうかを検討する意味などないわけです。」ということになります。中国ではその後も、新石器時代の遺跡からこうした記号かと思われるものが出土していますが、もう以前のように騒がなくなりました。裘錫圭の考え方が幾分浸透しつつあるのではないかと、私は見ています。

 次にジャン・ボテロの文字観に移ります。私は誰かにボテロを読むように勧められたわけではなく偶然出会ったのです。古代における神について考え続けてきた過程で、彼の『神の誕生』と『最古の宗教 古代メソポタミア』を手に取ったのが始まりです。中国の古代宗教に関する研究はあまり深い考察がなく表面的なものが多くて物足りなかったのですが、ボテロ『神の誕生』は大変興味深く読むことができました。これはすごい学者のようだということを直感したわけです。そこで次に手に取ったのがこの『メソポタミア』でした。これがまた実に深くて面白いのです。読み終わるのが惜しいくらいで、ずいぶん長期間この書物の世界に浸っていたものです。今改めてこのように思い出してみて、その学問の深さ面白さを教えてくれる素晴らしい書物として誰にも推薦したいものです。今は文字概念を考えているところですから、該当する箇所を紹介致します。

    

私の考えでは、この文字という用語を一部の歴史学者や考古学者は、あまりにも軽々しく使いすぎている。偶然のものとは思えない複雑な痕跡や、明らかに意図的にしるされたなんらかのメッセージを含んでいるデッサンを目のあたりにしたとたんに、彼らはこれを文字と呼ぶ。だから「ブルターニュの巨石群の文字」のことが取り上げられたりするのである。実のところ、もしある単語がきちんと限定された意味を持つものであるとすれば(今日のことはますます忘れられあるいは否定される傾向にある。公式にではなくとも、少なくとも言葉では!)、文字であるためには、考えや感情の表われであるメッセージの存在だけでは不十分なのである。言語であるためには、叫び声だけでは不十分であるのと同様のことである。さもなければ、すべての造形芸術は文字ということになってしまい、大混乱を引き起こすことになろう。文字であるためには、すべてのメッセージを伝達し定着させるためのシステムが必要なのである。換言すれば、サインなりシンボルなりが組織的で規則的な集合体を構成していることが必要なのである。これによってサインやシンボルを使用する人は、自分が考えたり感じたり、説明しようとしたりすることすべてを、実体化し正確に定着させることができるのである。
                 (ジャン・ボテロ著・松島英子訳『メソポタミア 文字・理性・神々』)


 ボテロの述べていることは、裘錫圭と非常によく似ています。「なんらかのメッセージを含んでいるデッサン」を文字と呼ぶならば、「すべての造形芸術も文字ということになってしまい、大混乱を引き起こすことになろう。」と警告しています。そしてさらに進んで、「文字であるためには、すべてのメッセージを伝達し定着させるためのシステムが必要なのである。」と言っています。ここで「システム」という言葉が出てきました。「システム」は「体系」と訳されることもある言葉ですが、ボテロの言おうとする趣旨を私なりに言い換えるならば「文字の体系」あるいは「書記システム」ということになると私は思います。ボテロの文字観はあたかも言語学者や文字学を彷彿とさせる深いものですが、彼の娘であるフランソワーズ・ボテロが有名な漢字研究者だということも、見逃すことができない背景だと思います。フランソワーズは中国語も日本語も堪能な人だと聞いています。ボテロはメソポタミアの文字の起源を考える際に、漢字の体系や日本語の書記システムも念頭に置いているに違いありません。
 ここで東西の学者の述べていることを整理してみましょう。裘錫圭は「文字とは言語を記録する記号だ」と定義しました。ボテロは「システム」が必要だと述べています。この両者は言い方こそ違うけれども、共通した点があります。それは文字を言語とを結びつけて考えようとしていることです。ボテロの主張は、引用した箇所ではあのような表現になっていますが、書記システムが整わないと文字とは呼びにくいということを述べているわけです。文字の起源が話題になる時、必ずといってもいいほど引き合いに出される考古学者のベッセラが、『文字はこうして生まれた』で主張しているトークン(陶塊のようなもの)起源説は、この点で条件を満たすものではなく、記号の類ということになってしまいます。つまりベッセラは広義派に分類されることになります。現に彼女はトークンに刻られた記号を「線描絵文字」と呼ぶかと思えば、直ぐその後で「線描記号」と呼んだりもしていますので、文字観が曖昧であることが分かります。ボテロが「この文字という用語を一部の歴史学者や考古学者は、あまりにも軽々しく使いすぎている。偶然のものとは思えない複雑な痕跡や、明らかに意図的にしるされたなんらかのメッセージを含んでいるデッサンを目のあたりにしたとたんに、彼らはこれを文字と呼ぶ。」と述べているのは、名指しこそしていませんが、ベッセラをも含むことになります。
 「文字という概念」は「言語を記録する記号」あるいは「書記システム」という考え方に結びついてきたことが分かります。では、言語を記録するには何が必要なのか? 書記システムが整うには何が必要なのか? この点について次回は、言語学や文字論の研究者の考えを紹介しながら考えてみたいと思います。

  → 004表音機能と文字体系【甲骨文の誕生004】
     http://mojidouji.hatenablog.com/entry/20111217/1324121920