高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

004表音機能と文字体系【甲骨文の誕生004】

     文字とは何か?──最古の文字とは?(4)

     表音機能と文字体系

 今回は前回たどりついた文字概念から出発します。一つは中国の文字学者・裘錫圭が提示した「言語を記録する記号」という捉え方。いま一つはフランスのアッシリア学者ジャン・ボテロが提示した「書記システム」という捉え方です。
 「言語を記録する記号」という捉え方は文字を一字一字個別に見た捉え方ですが、「書記システム」の方は用いられる文字全体で果たす役割に注目した捉え方になっています。「書記システム」の「システム」は「体系」とも訳されることのある言葉ですが、「書記システム」という捉え方には「文字の体系」がおのずから想定されていることになります。今日のテーマはその「文字の体系」に必要なものは何かということを考えることです。この問題を考える際に有益なのは、特別な理論ではなく、言語を記録する「書記システム」がどのように整えられていったのかを、具体的に分析した研究です。学問の分野でいえば「書記史」ということになると思いますが、この件は日本語の表記がどのように整っていったかを見るのが最も具体的で分かりやすいので、後ほど改めて取りあげることにします。ここでは、「文字の体系」が整うために何が必要であったかについて述べている研究者の考えを参考に進めていきます。このような観点からする研究を彼らは「文字学」と呼ばず、「文字論」と呼んで区別しているようです。日本で「文字学」という場合は大体漢字の成り立ちに関する研究を指していますが、ここであえて区別して「文字論」と呼ばれる分野は文字を言語的機能の面から研究するものです。「書記システム」がどのように整っていくかを研究する分野ということもできると思います。
 ここで取りあげたいのは河野六郎氏の『文字論』(三省堂)の示した考え方です。

  

漢字の場合も、エジプト文字の場合も、結局、表音という手段に頼らなければ文字体系が出来なかった。(16頁)

 書記システム成立の研究で最も核になる主張がこの考え方です。河野氏は世界の様々な文字の書記システムの成立過程を比較しながらこのような考え方を導き出しています。古代エジプトヒエログリフも、古代メソポタミアの文字も表音機能をもたないうちは、文字体系が整わなかったが、表音文字を創出したことによって書記システムの土台ができたということを述べているわけです。ここで「漢字の場合も」としている点に怪訝な気持ちを持たれる方もおありでしょう。おそらく大部分の人は、甲骨文字は象形文字なのだから表意文字ではないのか? と思われるのではないかと想像しますが、後で具体例を挙げながら述べていきますように、甲骨文には表音のための文字があるのです。象形文字のまま語の音を表示する文字が入っているのです。このことを見落としていない河野氏は、常識的な知識を鵜呑みにせず、自らの力で分析しているからこそ、甲骨文の中の表音文字を見逃さなかった、ということができます。
 次に河野六郎西田龍雄の対話『文字贔屓』を見てみましょう。西田龍雄氏は西夏文字の研究者として広く知られていますが、文字学者というよりも言語学者であり、河野氏の言われるような意味に近い「文字論」を展開している人です。この二人がそれまで蓄積した文字研究の知識を傾けて討論しているものですから、非常に啓発されるところが多いのです。特に注目すべきことは、話し言葉に二種類あることについて意見を交わしている点です。

[西田] これはちょっと面白いと思うのですけれども、文字をもたない中国の少数民族ね。話し言葉しかもたない。しかし、その話し言葉しかもたない民族にも、口語と文語的なものがあるわけです。歌謡には古い文語的なものをもってくる。それは一般の口語の語彙とは違うんだということね。そういうことがあり得るんですね。
[河野] それはぼくは金田一京助先生から講義を受けた、ユーカラアイヌ語と口語のアイヌ語とは違うというのと同じ。つまりフォーマルな言葉というか、みんなの前で祭りをやるでしょう、そういうときの言葉と民衆の普通の言葉とがある。どこでも必ずあるのじゃない、そういうのは。それで、文字ができたとき、民衆の言葉は使わないで、ユーカラ的なもの、あるいは経典の翻訳のこれは口伝てに伝わってきたようなものね、そういうものがあったら、それを文字にする。いきなり文字ができてすぐ書けるというものじゃないからね。(117頁)


 ここで「口語と文語的なもの」と言われている二種類の話し言葉は、アイヌ語にある「祭りのときの言葉と民衆の言葉」という表現でも言い換えていますが、この後この話題でかなり多くの民族と言語にも話題が及びます。そして甲骨文に記録された言語もそのような言葉である、と述べられているのは実に鋭い考察です。この講義で述べようとする核心に触れる話題になっているのです。そこにもっていくのはまた後ほどにして、「文語的なもの」や「書写語」「雅語的なもの」などと様々に言い換えることによって、この特殊な話し言葉を読者に伝えようとしています。二人の対話という形をとっていますが、多分読者に伝わるように色々工夫しているものと思われます。

  

[西田] 民族の歴史が古ければ、書き言葉、文語的なものが、必ずしも文字ができてからでないと発達しないとは限らんということですね。文字ができる、できないにかかわらず、どんな民族も文語的なものを語彙の上で弁別し得た。それが民族の儀式を行なう上にいて必要であった、あるいは文学的な表現のために必要だった。だからそのような言葉の層は文字があるなしにかかわらず発達し得た。そのような事実は、本来は言語の混合に由来して、民族の混合と関連するのではないかと考えています。(117〜118頁)

 西田氏は「甲骨文は、当時の口語からずいぶん掛け離れたものだと思います。」(119頁)とも述べていますが、これを文語的なもの、雅語的なものと捉えているわけです。私はこの二人の文字論者の討議から非常に啓発されたことで、長年解決できなかったことを解決できたと言ってもいいほどです。甲骨文についてはまた後ほど改めてお話しすることにして、ここで一つの仮説を立てることにします。それは、甲骨文は占いの場で発せられた儀礼的な言語を記録したものではないか、ということです。そしてその言語は西田氏の繰り返し述べられるところの、いわゆる日常的な話し言葉である口語ではなく、儀礼の時にだけ用いる特殊な言語、文語とも雅語とも言いうるような言語ではなかったかということです。

 今回お話ししたことは、「言語を記録する記号」としての文字が「書記システム」を整えるために必要なのは表音機能であったことと、記録された言語は、いわゆる日常的な話し言葉とは全くことなった儀礼の時だけの言語ではなかったか、という仮説を立てることでした。甲骨文の成立を言語面から考えた場合、ほぼ核心に迫ってきています。今後、この仮説が適切であるのかを見極めるための検証過程に進んでいくことになりますが、それだけではまだ借り物の理論を適用しただけの段階にとどまってしまいますので、いま少し別の文字体系、別の書記システムの具体的な形成過程を見ていくことにします。次は日本語を表わすための文字体系の生成過程を見ることにします。

   → 005日本語の文字体系──借字と漢字仮名交じり文【甲骨文の誕生005】
     http://mojidouji.hatenablog.com/entry/20111218/1324206679