高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

復興実施本部の設置をめぐる政争をどう見るか

 大震災の復興実施本部の設置をめぐって有力政党が決裂した。このことを外からどう見えるかということを記しておきたい。こういう時は各政党党首のあるいは幹事長などのトップクラスにいる人たちの個々の発言内容や行動の是非を、一つ一つ吟味しているよりも、永田町が全体としてどう動いているかを見て判断するのが適切だろう。
 一言で言えば、民主党以外の政党は民主党に協力することによって自分の党が損をするという計算をしているのである。つまり復興支援よりも党利党略の方が優先されているのである。この動きは、震災が起きてもこれまでの政党たちの動きに根本的な変化が起こらなかったということを意味する。非常事態と認識していないのだ。おそらく下手に協力してうまくいかなかった時のことが目の前に浮かんでくる。そのために二の足を踏んでしまうのである。言い換えれば、菅首相の対応の拙劣さを批判しても、自分たちがそれ以上の働きをする自信はないのだ。しかし、時はどんどん過ぎていく。今の段階では菅首相の対応のまずさを指摘しておけば、見かけの上ではそれで済んでいるように見えるかも知れないが、もっと時が過ぎてみれば、民主党以外は震災に対して背中を向けていたということが明らかになるのだ。今は気付かないだろう。しかし時間が経てばそういう意味を持ってくるということに気付く日がやってくる。そのことを認識しておく必要がある。
 国会議員たちは永田町の中にいるがために、外部の眼をもつことができない。そしてマスコミの記事や報道の仕方に振り回される。マスコミの書いた内容に振り回されるのだ。今何が最も大切であるかを判断する力がない。日本のマスコミは、政治家たちが一所懸命やっていても何か叩く材料を見つけてきて批判する。マスコミに叩かれると次回の選挙で勝てないかも知れない、そのことだけを考えるのである。
 自民党民主党に政権を奪われてよほど悔しいのだろうが、ここで一致協力してよく働くことが自民党の値打ちを上げることになるのは明らかだ。そういう力を自民党はまだ持っているかも知れないという希望というか幻想を、国民は抱いているかも知れない。こういうのを希望的観測ということを思い出した。しかしどうもそういう自信がないらしい。永田町の外から見るとそういう風に見えるのだ。自民党民主党と同じように大したことのない政党だ、という程度ですむかどうかである。これは「公明党」も「みんなの党」も同じだ。党利党略を優先して結局は動かなかった。自信がないからだ。国民はそういう風に判断するのだ。