高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

シン・ヒョンスのヴァイオリン独奏

 今日は京都市交響楽団定期演奏会に行ってきた。私にとって心のリフレッシュのできる大切な時間である。ある意味では優れた文学作品を読んで感動することに匹敵する貴重な体験ができる時間でもある。音楽の楽しみ方には色々あっていいと思うし、他人の楽しみ方にとやかく口出す必要もない。リラックスするために音楽を聴いてもいいし、好きな音楽家の演奏に接しているだけでも喜びが湧いてくる、そういう聴き方があっていいはずだ。私の場合は演奏家の演奏の仕方から何かを感取すること自体に喜びがあるといってよい。そしてこれが学問にも文学にも美術にも通じることが多い。そういう収穫があったとき豊かな気分になる。それが楽しいのである。
 今日は日本でも有数の指揮者であり、京都市交響楽団の常任指揮者でもある広上淳一の指揮で、下記のプログラムが組まれていた。

 ・ショスタコーヴィチ:バレエ組曲第1番。
 ・ブルッフスコットランド幻想曲op.16(ヴァイオリン独奏との協演)
 ・ヒンデミット交響曲「画家マティス

 私は広上淳一のファンである。広上のどこがいいのかといえば、彼の作り上げる音楽には常に発見があるからだ。彼はそのオーケストラにかつてなかったような優美な音を引き出す手腕に長けている。広上が常任指揮者になる前の京響も非常に優れた技術をもっていたのは間違いないが、広上が指揮棒を振るようになってから音が非常に豊麗になり、表現力が一段階アップしたという印象が強い。いまや京響は世界的なオーケストラに成長した、というのが最近の私の京響評価である。しかしなぜそのようなことが可能になったのか、私が最も関心をもっているのはこの点である。
 今日のプログラムは私にとって始めて聞く曲ばかりであった。ブルッフの曲名には見覚えがあり、ひょっとしたら聞いたことがあるのかも知れないが、そうだとしてもほとんど記憶に残っていない。
 ショスタコーヴィチの曲は明るい楽しい曲を集めた組曲で、私が漠然と抱いていた暗いイメージを拂拭してしまった。ショスタコーヴィチソ連の時代に政治的な迫害を受けた人であるが、そういう暗さが微塵もない。そもそも政治的にあるいはイデオロギーで音楽を聴くこと自体が間違っているのだ。そういうことを再認識した。

 さてここまで広上のことを中心に書いてきたが、実は今日書こうと思ったのは広上のことではなかった。ヴァイオリン独奏者として登場したシン・ヒョンスのことである。私にとってシン・ヒョンスは未知の人である。名前も始めてみたくらいだから何の予備知識も先入観ももっていない。プログラムには彼女のことを紹介する文章が載っているが、私は演奏の前に紹介文を読まないことが多い。先入観をもたずに聴く方が新鮮だからである。
 ブルッフの曲が広上の手にかかるとどういう風になるのだろう。最初はそういう気持ちで耳を澄ませていた。耳はオーケストラの音に向いていて、実はヴァイオリンにはあまり向かっていなかった。京響と協演する独奏者に不出来な演奏をする人はいないし、力量のある人が選ばれて登場することが多い。新人の場合も将来が楽しみだと思える演奏をする人が多い。
 「スコットランド幻想曲」は、冒頭がオーケストラで始まり、やがて独奏者が弾き始めるという展開ではなく、いきなりヴァイオリンが弾き始めた。その音に驚いたのである。決して圧倒するような強い音ではないのだが、人を惹きつける強さがある。強さという同じ言葉で表わそうとするのは無理だが、それでも何か強い力が私の心を引きずり込むという感じだ。吸引力とでも言った方がいいかも知れない。ヴァイオリンの音にこれほどの吸引力を感じたのは久しぶりだった。それまでの京響の演奏会に登場したどのヴァイオリニストにもないほどの強烈な吸引力を、シン・ヒョンスの音に感じたといえばいいかも知れない。昂揚していくメロディーでは時にリズムを乱すかと思われるほどの気持ちの高ぶりが感じられるのだが、しかし乱れる一歩手前で優しく押さえているような理知が一方である。激しさと繊細さとでも言うのだろうか? 音は美しいのだが、単なる美しさを追求する演奏ではなく、何か骨太いものがある。その時私が連想したのはチョン・キョンファだ。チョンの演奏も激しさと繊細さとが渾然一体となって進んでいくドキドキするような演奏が多い。そのチョンの再来かと思ったのである。韓国には時々このような桁外れの逸材が出てくる、という思いに駆られていた。後で紹介文を見ると、「チョン・キョンファサラ・チャンとも違う“第3のスタンダードの誕生”として評価を受けている。」と書いてある。この「スタンダード」という言葉は好きではないが、非常に高い評価を受けていることが分かった。そうかサラ・チャンもいたな。このように並べて見て、次に私の脳裡に浮かんだのは五嶋みどりであった。チョン、五嶋、シン。この系列に私は魅力を感じるのである。暫くの間、私の関心はこの23歳の逸材に向かいそうだ。