高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

  山田洋次「東京家族」を観た──信頼と希望を若者に寄せる

 山田洋次監督最新作「東京家族」を見た。予想以上の出来映えで、山田洋次の人間的な大きさを眼前に見る思いだった。年老いた夫婦に視点を置いて、東京に集まった家族の様々な生き方あり方が描かれているのだが、そうした物語の向こうに見えるのは、若い人たちに寄せている山田の信頼と希望である。ここがこの作品の最も重要なメッセージだと思う。
 東日本大震災の起きる前には、その頃に撮影に入る予定だったという。大震災が起きてしまった以上はそのまま撮影に入る気にはなれないという山田監督らしい断念の仕方だった。この変更は見えない形で自然に織り込まれているように思えるが、それを前面に出すような全く別の作品になってしまったのではない。そうした要素も興味深かったのだが、それはもう一つのテーマとして横に置いておいた方がよさそうだ。映画の最後に「小津安二郎に捧げるオマージュ(であったか)」と記されるように、小津安二郎東京物語」を下敷きにして現代風に描き直すというモチーフを「東京家族」は持っている。悪くいえば焼き直しとも取れるモチーフであるが、そういう捉え方ではなく、同じテーマを小津安二郎と共有して、現代に生きる山田が描くとどのようになるだろうという問題として私は捉えていた。だが、相当な部分とりわけ前半で描かれる人物設定や人間関係が小津作品をほとんどそのまま踏襲している。このテーマを描くには小津作品の設定以上のものはないという認識の上に立っていたのであろう。
 私は小津安二郎東京物語」を一度DVDで見ている。傑作とされていた「麦秋」を見て心地よい感動を覚えた後、かなり日を置いてから見たのだが、正直なところ私にはよく分からなかった。高尚かも知れないのだが私は難解に見えた。「東京物語」は「麦秋」以上に世評が高く、小津作品の最高傑作のようにその道の愛好家の間では喧伝されていたように感じていたものだから、がっくりしたとも言える。がっかりしたというよりも自分の鑑賞力に疑いをもったと言った方が適切かも知れない。感受性が鈍いのか、あるいは察しが悪いのか、そんなことすら考えた。「麦秋」は年齢の離れた男女が互いに心惹かれながら、気持ちを打ち明ける機会ができず、男の母親がダメ元で「あなたが内のお嫁さんに来てくれると嬉しいのだが」と言ったところ、女が「いいですよ」と躊躇することなく即答する場面、そして「言ってみるものだねえ」と母親が言うところが実に印象深く残っている。小津作品はこうした人情の機微を巧みに描き出す監督として、私の記憶に深く残っていた。それで大きな期待をもって「東京物語」を見てみたのである。が、「東京物語」は私には少々難しかった。何か文学的なものを感じるのだが、あのような少ない言葉でどこまで察することができようか、という気持ちすら持った。
 改めて振り返ると「東京物語」は1960年代の作品である。60年代は映画のヌーベルバーグといわれた新しい潮流が流行現象のようになっていた。映画監督を志していた親友に誘われてその頃の新作を色々観て回った。題名を覚えているのは大島渚「日本春歌考」くらいしかないが、篠田正浩吉田喜重なども見たように思う。いずれも美人女優を妻にした才人たちである。まあそれはどうでもいいことだが。当時ヌーベルバーグの走りと思われたフランスのジャン・リュック・ゴダールの「中国女」だったかも見た。あれはフラッシュバックという手法であろうか。瞬時に場面が次々に切り替わる手法。それが多用されていた作品である。正直なところ何を伝えようとしているかも分からなかった。私の親友は満足げに見ていたので分かっていたのだろう。彼の誕生日は私より2日早いだけなのに早熟の秀才で、晩稲の典型のような私とは頭の働きが違うのだろう、というくらいに思っていた。当時は映画理論に関する書物や議論も多数見かけたように記憶するが、どれにも共感が持てなかった。私はもともとそういうものを受け入れる能力というか感受性をもっていないのだろうと、諦めていたような気がする。
 日本のヌーベルバーグたちの作品を他にも色々観た。だがそれらの作品は手法が前面に出てくる作品、理論が勝った作品のように思えて、楽しめなかったと記憶する。また文学の傑作を意識した表現の仕方をしていた作品もあったように思う。私は文学の手法を持ち込んだ映画が苦手である。行間を読ませるという作り方。こういうものを映画にも持ち込んだ作品をその後も色々観たが、いずれも私には深読みを強いられるようで面倒くさい映画に思えた。後で疲れが残るのである。文学なら余韻が残るのだが、映画の場合には疲れが残る。文学なら文字で書かれているために、場面を自分で描き出しながら読んでいる。だが、映画の場合は役者が演じている。その役者の演技に規制されるとも思われる。場面を振り返っても俳優の表情や動きが残るため、その意味を考えようとしても、俳優のキャラクターに規制されるのかも知れない。他にも色々な要素が絡むのだろうが、文学的な手法を用いた映画に対してはいつの間にか苦手意識が働くようになった。小津安二郎東京物語」を観た時、そのような文学的な手法の勝った映画時代の空気を思い出したのである。だが小津の「東京物語」に前述したような意味での理論臭や文学臭を感じたわけではない。ごく自然に描き出しているところには表現力の高さを感じたのであるが、それでも会話の省略があるというか、刈り込まれた会話とでもいうか、何かそういう文学的な省略がなされているように感じて、私には難解だと思えたのである。この傑作を20回も見たという人もいる。それくらい見れば、私が読み取れなかった細部の意味も分かるのかも知れない。だが1回見たきりのまま、山田洋次東京家族」を見ることになった。
 医者をしている長男。長女は美容院を営みながら家庭をもっている。ここまでは小津「東京物語」を多少変形してはいてもそれに近い設定になっている。大きく変わるのは次男の設定である。次男昌次は劇団の美術担当のようなことをしている。親兄弟からは彼の仕事に対する理解は得られていないが、彼なりの高い理想をもっていてそれに邁進していることが後の場面で分かってくる。恋人紀子はその理解者で、昌次をしっかり支えながら彼の身の回りの世話をしている。いずれ結婚すると誓い合っている関係だが、まだその機会が訪れない。この若い二人のありようが次第に物語の中心を占めるように動いていくのである。この二人はどのようにして知り合い、なぜ信頼するようになって行ったのか。これもまた重要なモチーフになっている。東日本大震災の被災地でともに救援活動に当たっている時に知り合った。二人ともそうした活動を当然の行為として位置づけていた。そこに二人の揺るがぬ信頼関係が生まれる原因になっている。こうした男女の結びつき方に山田洋次の様々な思いが込められているのである。
 山田の「東京家族」で特に魅せられたのは美しくて聡明な母親の立ち居振る舞いだったように思われる。東京旅行の終わりが近づいた頃、次男の昌次の所に泊ることにした。心配の種が消えなかった次男のことだから、もともとその積もりだったのだろう。男が一人で住んでいると部屋は荒れ放題になっているに違いないということで、部屋の片付けをする積もりで出かけていった。ところが案に反して部屋はすっきり片付いている。と、ここまで書いてきて、知らず知らずのうちにストーリーを細かく説明していることに気付いたので、これ以上書くのはやめにするが、映画の密度がこの辺りから非常に濃くなってくるのである。そして母親が最後に残した「もうあの子は大丈夫」という言葉。これが物語の底に流れる山田監督の思いだと思う。大丈夫とは何が大丈夫なのか、という謎を残しながら最後の父親の言葉に繋がる。妻の残した最後の言葉の暗示によって、父親は息子を誤解していたことを悟り、理解者へと一挙に転ずるのである。父親が息子の恋人紀子に頭を下げる場面。深い余韻を残す感動的な場面である。
 小津「東京物語」との違いを殊更述べる必要はないと思うが、山田「東京家族」は言葉の力を信じているような気がする。もちろん省略しているのだが、文学的な省略とは少々異なるような気がする。喩えていうなら、こんなことまで言わなくても分かるだろう、というところを省略する。暗示に富む省略とでも言えばいいかも知れない。そこが小津との違いのような気がするのだが、間違っているだろうか。