高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

文法と言語あるいは文法論と言語論

 文法といえば大抵の人は学校文法(橋本文法)しか想定しないようだが、文法という場合、言葉一つ一つの働き、言葉間の相互関係、言葉の機能等々、言語で表現された言葉の全体と個々の言葉の働きのすべてを含むものなのである。別の言い方をすれば、言語を観察するに、全体と部分との両方面から見ることをいう。したがって単語単位だけで見る場合の「文法」ではないのである。そうすると文法ではなく言語表現全般を言うということになる。文法論ではなく言語論なのであるが、文法論の名の下に言語論、言語研究が展開されている場合もある。それを指しているのである。そもそも「単語」という呼び方は、文節よりも更に個別に区切れる単位のものをいうのだが、言語をそのような単位に切断してしまうと、言語間の相互関係や言葉の機能を考える視点を持ちにくくなる。無意識のうちにこのような視点で考えようとする人が意外に多いのが、中国学の分野なのではないか? これは漢字を個々別々にぶつ切りにして意味の単位で考える発想と一脈通じるところがある。