高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

 久しぶりだが近況報告を簡単にしておきたい。

 拙著『甲骨文の誕生 原論』(人文書院 2015年)を書いたことによって、次の段階に入った。白川文字学第二世代としての第二段階である。具体的にいえば、甲骨文の文字体系(書記システム)を継承した、西周時代の金文(青銅器に刻られた文字)の様々な文字現象を、言語と文字構造の両面から分析し考察する段階ということになる。暫定的に「様々な文字現象」としていたわけだが、考察を進める過程でこれを更に「言語の文字表現」と捉え直すことにした。当時用いられていた文語的な口頭言語(雅語)を、当時の人々は文字でいかに表現しようとしたかという問題として捉え直すのが適切だと思うようになったからである。こういう捉え方ができるようになってから、今まで気付かなかった様々な現象に気付くようになった。『金文通釈』の「語彙索引」を作成した私にとっては読み慣れた金文ではあるが、こういう新しい視座を獲得したことによって、また新鮮な目で見ることができるようになった。これは予想していなかったことである。今取り組んでいるテーマの一つがこれである。
 もう一つは「殷周革命論」(研究所の紀要に連載中)。「殷周革命」とは殷代から西周時代にかけて起きた歴史の大転換のことだが、金文を微細に読むことによって、当初想定していた以上の大きなテーマになってきた。これもじっくり取り組みながら進める。
 成果、成果と本当にせわしない時代になったが、こうした成果主義が日本文化を刹那的な貧しいものにしてしまった。そういう気持が歳を追うごとに強くなるが、そんなことを言ったところで何かが変わる訳ではない。今は重要な問題の解決を進めるだけのことである。
 来月中にまた一冊刊行する動きになっている。そして来年にも一冊。暫くこのペースで進めて行くが、それと同時に前述したテーマも並行して進める。