高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

《陳風》「防有鵲巢」の読解を中心に

 先日の《白川詩経研》は「防有鵲巢」と「月出」の二篇を読んだ。「防有鵲巢」についてはほとんどの研究者がうまく説明できていない。各章の第2句までの興的表現の理解がうまく行っていないのだ。これが最大のポイントである。一旦解けてしまうと理解が深まり、他の詩篇の理解を深めることにも繋がるのだが、そうでないうちは非常に難問にぶつかっているように思えて、ギブアップしてしまうというのが一般的であろう。
 その興的表現をどう捉えるかという点から入ることにしよう。各章の第3句第4句が「自分の愛人を人に取られるそうな予感がして、心配する」(白川静)ことを言うのだから、第1句第2句はそれを暗示するような隠喩的表現をしているところと捉えなければならない。第1章では「防に鵲巢有り」とあって、不安を与えるのが「カササギ」である。ここではカササギが堤防に巣を作っていて、「旨苕」を狙っていると歌うことがその不安を掻き立てる隠喩になっている。これは辻褄が合っている。
 辻褄が合わなくて解釈が投げ出された結果になっているのが、第二章の隠喩である。「中唐に甓有り」とあって文字通りに受け取れば、廟前の道の真ん中にシキガワラがあることを述べていることになるのだが、これが第一章のような意味を持っているとは思われないところが問題点である。「唐」は「爾雅」には「廟中の路 之を唐と謂ふ」とあるのだから、この解釈が適切であるかに見える。しかしそうだとすると第1章の示された内容とは噛み合わないのである。では解釈できるのか? この「中唐」というのは果たして廟前の道なのか? 「中唐」とある以上は、その空間の中ほどにあるという意味だから、廟前の道の中ほどとはどこのことなのか? とういうことになる。表現としては何か変な感じがする。例えば「中国」という場合、国の真ん中あるいは中ほどという意味である。一方、細長い形状である「道」の真ん中にシキガワラがあるというのはどういう状態を意味するのか? シキガワラだから敷きつめているはずで、真ん中にあるのでは何か落ちている物というイメージになる。このように文意そのものが腑に落ちないのである。「中●」という場合、道のような細長い形状ではなく、四角いとか円いとかの細長くない空間的な形状をしているものでなければなるまい。そうすると「道」のようなものではなかろう。
 「唐」という字面だけで判断しようとすると「廟前の道」以外の意味を考えなくなってしまうが、「唐」字で表記される語には他に水溜まりとか溜池の意味もある。そういう意味でなら、差異を示すために文字表記は「塘」と書くべきところであろう。しかしそのような限定符の表記は、字形を厳密に書き分ける決まりになっている現在の我々の感覚であって、古くは「唐」の字形でも「溜池」の意味に用いられたのである。これに類した用字の例は『詩経』の中にもあって、「吁嗟」という儀礼の時の掛け声が我々の用いている『詩経』のテキストでは「于差」と記されている。「口」はこの場合「発声する」語であることを示す「限定符」であるが、その限定符を付けない場合でも、同じことを意味していたのである。『詩経』のテキストを読む場合には、そのような時代の表記であることを念頭に置いておかねばならない。そうすると「中唐」は「中塘」ということである。つまり溜池の中ほどということである。このように読むだけで「中唐」は解けたことになると思われる。
 次にクリヤーすべき語は「甓」である。これは文字通りの意味でいけば「シキガワラ」であるが、前の「中唐」が溜池の中の意味であるならば、「シキガワラ」ではないはずである。そこではたと思い当たったのは「甓」は廟前の道に結びついてこのように捉えられているが、もしも第一章の「カササギ」に対応するものであるならば、鳥の名前である可能性がある。「甓」の瓦という限定符は廟と関係づけられて、そのように捉えられ「甓」としたものであって、もしも鳥の一種であるならば、「鸊」となるであろう。「辟」が表音部分であり、「瓦」や「鳥」がカテゴリーを示す字形である。「唐」が廟前の道のことであれば後の語は「甓」と表記され、「唐」が溜池のことであれば後の語は「鸊」となるわけである。恐らく伝承された詩篇をテキスト化する過程でこのようなことが起きてしまったのではないかと思われる。
 「鸊」は「カイツブリ」である。カイツブリは水生の鳥で、池の中に巣を作る習性をもっている。だから「中唐に鸊有り」は池の中にカイツブリが巣を作っていることをいうので、辻褄が合う。一方、「カササギ」は樹上のかなり高いところに巣を作る。「防」を堤防の意味ととらえ、地上に巣を作ると思ってしまった研究者は辻褄が合わないと思ったようであるが、そこには樹木が生えているのだ。「防」は辞書的な説明では堤防ということになるが、いわば土手であるから、必ずしも河の堤防である必要はない。「唐」が「塘」つまり溜池であるということは、土を盛り上げて築く土手がある。これが「防」であろう。池の土手であるからそこには木が植えられている。その樹上に鵲が巣を作っているという設定である。このように見てくると、全体の辻褄があってくる。しかもこの「塘」が溜池であるということは、《陳風》ですでに読んだ「東門之枌」「東門之池」「東門之楊」に出て来る「池」のことであろう。こうして「東門之池」が溜池であったことが分かり、そこには「枌」や「楊」の他、たくさんの樹木が植えられている。そして「東門の枌、宛丘の栩」とあるように高木がある。「邛」が丘の意味ならそれは「宛丘」であろう。こうして陳国の歌垣の場所であった東門附近には、池があり、その土手には様々な樹木が生えていて、そこに隣接する感じで宛丘がある、といったように具体的な地形が描かれていくのである。

 白川詩経研の研究会で《陳風》を読解する過程で、東門附近の地形はどうなっているかということを、あくまで推定であることを前提に具体的に説明してみたが、それが本当に当たる結果になるとは! 私はその後、陳の具体的な位置や歴史などを調べてみた。今ここでは書かないが、陳とは現在のどこであるか。地形はどのようになっているか。東門には果たして池があるのか。という興味深い問題にほぼ答えることができる。諸君も調べてみて下さい。これが夏休みの宿題の一つです。

  7月22日、一部修正を加えた。