高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

新元号「令和」論議

 新元号の「令和」については、『万葉集』巻5の「梅花の歌」三十二首の序から採ったというのだから、その序文と和歌を見ればいいのである。たとえ「令月」という語の初出が中国の古典の中にあるからといって、『万葉集』を見もせずに中国の古典の方で元号を批評するなど、文脈を無視した横着な態度、というよりもむしろ頓珍漢で滑稽である。言葉というものは文脈の中で意味をもつものである。『万葉集』を読んでみたいと思うのが素直でまともな感性の持ち主。
 「令○」型の熟語の「令」が「立派な」とか「善い」の意味になっているのは、比較的早い例として『詩経』に見える。これについては論文を書いたことがある。(『西周王朝論《話体版》』)

 なお「令月」についてはもう少し説明をした方がよさそうなので加筆する。大伴旅人の学識の深さと詩人としての力量を感じるところなので。
 「令月」の意味は辞書的な訳語としては「善い月」ということになるが、『万葉集』の用例では「初春の令月」とあるように、「令月」は単に「善い月」という意味ではなく、「正月をほめていったもの」(伊藤博萬葉集釋注』)ということである。「令月」の用例を遡っていくと、旅人の用法の方が「令月」という語本来の使い方を心得ていることが分かってくる。新しい元号として『万葉集』から採ったとされる意味はむしろそこにあると言えるのではあるまいか?
 中国学の専門家(??)が直ぐに挙げるところの、漢字辞典の類にもよく出ている有名な張衡(平子)「帰田賦」の場合は、「於是仲春令月,時和氣清。」とあるように、「仲春の令月」となっていて『万葉集』の大伴旅人のそれとは文脈が異なる。「初春の令月」なら言葉の収まりが良いが、「仲春の令月」では「令月」という語がやや浮いた感じになる。辞賦の表現は対句を多用したりして装飾性が強くなるので、意味という側面から見れば少々言葉が浮くのは許容されると見ても良いのだが、旅人の使い方の方が本来の使い方ではないかということである。もう少し続けてみる。
 張衡「帰田賦」は話題になっているように『文選』巻15に見える。そして李善注『文選』ではこの箇所の項に「儀禮曰、令月吉日。鄭玄曰、令善也」という先例を示している。「令月」に関しては『儀礼』が初出であると見た方がよさそうだ。ところで「令月吉日」の用例は『儀礼』巻1「士冠礼」の「令月吉日、始加元服」である。「令月吉日」の他に「吉月令辰」という表現も用いられており、意外な方面から「令月」の意味用法が明らかになる。大伴旅人の「序」はこの『儀礼』の用法をしっかり摑んでいると同時に、張衡「帰田賦」もどこかに意識しながら、旅人独自に文学的に書いたものと見るのが妥当のように思う。
 このように用例をたどる過程で見えてきたのは、大伴旅人漢籍によく通じていただけでなく、漢文を書く能力も単なる物真似のレベルではない高度な表現技術を具えていたということである。古代の知識人を侮ってはいけない。直ぐに典拠を中国の古典に求めるのは、中国学をやっている者に染み着いた(哀しい)習性のようなものだが、警戒してかかるべきである。
   2019.4.20加筆した。直ぐに削除するつもりだったが、もう暫く掲示しておく。最初標題を「雑感」にしていたのは直ぐに削除するつもりだったからだが、後でかなり加筆したので標題も変えた。『万葉集』についてもう少し書きたかったがキリがなくなるので自重してそのまましてある。

 

 (注)時事的な性格の文章なので数日前に削除したのだが、もう少し残しておいた方が良さそうなので再掲します。文章は「削除」前のままです。