高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

内田光子 モーツァルト『ピアノ協奏曲25番』

 内田光子のピアノでモーツァルト『ピアノ協奏曲25番』を聴いた。久しぶりである。私はもともとモーツァルトピアノ曲をあまり聴かなかったのだが、フリードリッヒ・グルダの演奏する20番を聴いてからというもの、機会を見つけては聴こうという気持ちが潜在しつづけてきた。そしてまたグルダの演奏を聴いた後に続けて聴いた、内田光子の同じ曲も記憶の中で輝きを放ち続けていた。しかしそれでも聴かずにいたのである。聴きたくないということではもちろんなく、何か良い機会を待っていたということだという気がする。自分のことなのにまるで人ごとのように無責任なことを書いているわけだが、無意識に良い状態を待つというのは誰しもあるのではないだろうか? そして何となく聴く気になって聴いたのである。これがまた素晴らしかった。

 内田光子の演奏する20番は上品な美しさに溢れた演奏で、私の心の中に長く留まるものだと思っていたが、今度聴いた25番はまた別の美しさを運んできてくれた。粒だった艶のある音というのであろうか。派手ではない音がいつの間にか躍動しはじめて、キラッキラッと小さな輝きを放つのである。上昇する旋律の絶妙なダイナミズム、そして下降する時にはむしろ堂々とした強いリズムを刻んでいく。なんともまあ、スゲー弾き方ではないか! そして今度もスタッカートがうまい。ちょっと曲からはみ出すような弾き方をしているくせに、リズムをしっかり刻んでいるために、むしろ盛り上げる効果がある。なるほどこれがスタッカートというものである。リズムがしっかり刻まれることによって、こちらの身体がそれに乗せられて曲の中に引き込まれることになるわけだ。今回もワクワクしながら聞くことができたのである。そういう気分になったことから、色気という言葉が一瞬浮かんだが、そういうとちょっと蓮っ葉な感じがする、むしろ気品がありそしてさらに色気があるのである。内田光子ってこんな演奏をするのか。これなら世界中の人が夢中になるだろう。そう思ったのである。
 今回協演したオーケストラはウィーン・フィルウィーン・フィルの音はからっとした明るい音なのでこの曲にピッタリ合っているようだ。会場がウィーンなら湿度が低いから、ピアノの音も軽やかに乗っていたのかも知れない。

Mozart Piano concerto No25-1mov (1/3) Muti & Mitsuko Uchida Vienna Philharmonic