高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

雅頌の「魚」から、「墓門」に入る

 昨日の《白川詩経研》は予告通り、雅頌における「魚」についての調査報告から始まりました。雅頌では魚が祖霊を暗示するものとして歌われていることや、霊的な存在としてと見立てられていることが述べられました。前回までにやった国風では、女の隠喩であることが多いということでしたので、国風と雅頌との詩篇の性格の違いが、こういう面でも出ていると言うことができます。
 次いで、「墓門」に入りました。この「墓門」はなかなか厄介な詩篇で、白川先生もかなり手こずっているように見えます。そこで作品の性格をもう一度検討し直すことにしました。「梅」と「棘」とが歌われていますが、これらを同列の関係にあるものと捉えるか、それとも対義的な関係にあるものと捉えるかで、詩篇に託された意味も変わってきます。特に「棘」がトゲなのかナツメなのか、またナツメにも色々あるようですが、ナツメにはどのような観念があったのか、この問題をもう少し考えることによって、詩篇の性格を検討しようということになりました。国風の解釈は論理だけでは片付けられない側面がありますが、それでも論理的にどこまで詰めることができるか、そういう方向で進めたいと思っています。