高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

柄谷行人をまた評価するようになった

 しばらく離れていた柄谷行人がまた気になってきた。『世界共和国へ』からである。柄谷が国家論をはじめるとはちょっと予想外だったが、しかし読んでみるとなかなか良い。国家観が頓珍漢ではないからだ。これなら私が最も評価する滝村隆一の国家論にも通じるところがある。そして近著『世界史の構造』に来た。こちらの方はまだ読んでいない。何しろ大著である。しかも今の私には現在書き進めている論考を仕上げねばならず、その関係の書物を読みながら進めているので、なかなかそこまで手が回らないのだ。しかしいつか時間を作って読了したいという思いは強い。
 ところで、ゲーデルのことを書いていた頃の柄谷は好きではなかった。「自分というものはない」などと流行りの章句が前面に出てきて、何か胡散臭い感じがしたものだ。初期の頃の『意味の病』を書いている頃はまだ、その鋭い考察に感心するところがあった。いわゆる文芸評論を中心に据えていた頃のことだ。しかし今から考えると、その頃からすでにやや理屈の勝った評論だったような気がする。理論といえば聞こえがいいが、文学作品を論じるのにやたらに理論を持ち出すのは好きではない。ろくすっぽ読めていないのに、いかにも分ったように理屈をこねてしまいやすいからだ。文学を味わうことより理屈をこねることに重心が移ってしまうような文章が書かれてしまう。文芸評論はそのようになりやすい危険性をもっている。まあとりとめもないことを書いたが、最近の柄谷行人は注目に価すると思いはじめたことを記しておくのである。