高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

 【高島敏夫《金文講座》 ──白川静『金文通釈』に沿って】に6篇アップしました

 【高島敏夫《金文講座》 ──白川静『金文通釈』に沿って】に6篇アップしました。
  今回は(六)として「宗周・ホウ京・成周での祭儀」と題しました。

https://www.youtube.com/@user-kw9pi7fx7u/videos

 西周時代初期の短くて読みづらい銘文を多く含みますが、この中で特に重要なのは《臣辰卣(士上卣》に記された一連の儀礼の持つ意味です。宗周での儀礼の後、󱤡京に移動して行なわれる儀礼。そしてさらに殷系氏族が集住する成周で行なわれる儀礼。というように儀礼が一続きになっていて、そこに重要な意味があったことが分ってきたのです。
 また《史獸鼎》には都市としての成周建設の一幕が記されています。
 他の短い銘文も資料性がありますので、軽視することなくご覧下さい。

 028~033のテキストはここからダウンロードできます。
  https://drive.google.com/drive/folders/1ImFO5ntra0dz619rlt7AQKqnZrhu5HRv


【028《金文講座》031 鳴士卿尊と032 臣卿鼎を読む】

 今回は028~033の動画。宗周・ホウ京・成周の各地で行なわれた儀礼を記した銘文です。作器者はいずれも殷系氏族である点にご注目下さい。
 031《鳴士卿尊》は洛陽に新しく建設された「新邑」で王が初めて行なったことを記したものです。「新邑」の名を記した新出の甲骨(殷末~西周前期)についても言及します。
 032 《臣卿鼎》の臣卿は鳴士卿と同じ人物です。成周の長官である「尹(明公・明保)」が東方への巡撫省察から帰還した時に、新邑で臣卿を表彰したことを記した銘文です。

【029《金文講座》033 獻侯鼎を読む】

 成王が宗周にて大々的に「𠦪」の祭儀を催したことを記している。

【030《金文講座》034 臣辰卣(士上卣)を読む】

 宗周・ほう京・成周の3ヶ所で国家的な儀礼を行なったことを記す重要な銘文。成周での祭儀を取り仕切る臣辰(士上)という人物が殷系の氏族であるだけでなく、王族の出自であるらしい点が興味深い。西周時代前期の特徴を示すものである。

【031《金文講座》035 厚趠方鼎と036 𤔲鼎を読む】

 《厚趠方鼎》は成王が成周に来た年に、作器者の厚趠が溓公から表彰されたことを記す。
 《𤔲鼎》は、成王が成周にて祭儀を行なった時に、やはり溓公から表彰されたことを記す。ともに殷系氏族である。

【032《金文講座》037 史獸鼎を読む】

 成周の長官明公尹の命により、史獣〔人名〕という人物に地鎮祭的な祭儀を行なわせたことを記した銘文。

【033《金文講座》038 ひ尊と039 盂爵を読む】

 《ひ尊》は宗周にて某公が祭儀を行なったことを記した銘文。祭儀については詳細不明。《盂爵》は成王が初めて成周で𠦪の祭儀を行なったことを記した銘文。最後の「彝」字の位置が異例。宗周での𠦪の祭儀は№35《献侯鼎》を参照。

 

11月19日(土)の連続公開講座《金文講座》のお知らせ

 今回は(五)「成周における殷の祭儀等」と題しました。

  会場:敬学館 KG108教室(立命館大学 衣笠キャンパス
  日時:11月19日(土)14:00~16:00 

 今回はかなり長文で分かりにくい銘文です。白川静『金文通釈』も大変読みにくくなっていますが、私なりに解明できたことを交えてお話しします。これらの銘文には、西周時代前期の成王期に行なわれていた興味深い祭儀のことが記されています。

 2日前にお知らせしました、YouTubeの「高島敏夫《金文講座》」も併せてご覧頂ければ理解が深まると思います。YouTube用のテキスト〔縮約版〕は下記のところからダウンロードできます。
  https://drive.google.com/file/d/1tKUfu_6DACLIqzRvr0RCImMPp3QOrkZM/view?usp=share_link

 公開講座のテキスト〔正規版〕は当日配布します。

 尚、この機会にご質問も受け付けます。「質問受付用紙」を用意していますので、下記のところからダウンロードして下さい。当日講座開始前にご提出下さい。(終了後でも可)
 
   【質問受付用紙】
  https://drive.google.com/file/d/10bGswJ5rDX0qIzTP9XQWrKcxS1xz083V/view?usp=share_link

 

【高島敏夫《金文講座》 ──白川静『金文通釈』に沿って】に4篇アップしました。

 【高島敏夫《金文講座》 ──白川静『金文通釈』に沿って】に4篇アップしました。
  今回は(五)として「成周における殷の祭儀等」と題しました。

 成王の妃である王姜。周公の子である明保(明公)。そして成周で行なわれた殷の祭儀。殷の祭儀を挙行することを周王が命ずる銘文等々。この時期ならではの興味深い銘文を扱います。

【024~027】のテキストはここからダウンロードできます。
https://drive.google.com/file/d/1tKUfu_6DACLIqzRvr0RCImMPp3QOrkZM/view?usp=share_link


【024《金文講座》027 令𣪘】https://youtu.be/2n9-sZVCvIA
 《令𣪘》は、殷系氏族である作冊夨令が、成王の妃で成王の代理を務める王姜に対して殷の祭儀を行なった際、その夨令に王姜が多数の賜物を与えたことを記す銘文。王姜からの賜物を周王の賜物と捉えている点に注目。この銘文は前半に書いたことを、後半にも同じ趣旨で繰り返している点が珍しいところ。ここにしか出てこない言葉もかなりあり難解だが、この時期はまだ祭祀言語が整っていないことを物語る。

.【025《金文講座》028 令彝】https://youtu.be/eIuxXB_3Cbg
周公の子の明保(明公)が成周の長官に相当する重要な職務を命じられることを記した銘文。明保は明公と呼ばれ、時には明公尹と呼ばれるが、作冊夨令はその配下にあって重要な役割を果たしていたことがうかがわれる。

【026《金文講座》029 作册𤳞卣】https://youtu.be/48NpVbRHHJo
周公の子明保(明公)が成周で殷の祭儀を挙行したことを記した銘文。

【027《金文講座》030 小臣傳𣪘】https://youtu.be/zQBKXRljZ0U
 この銘文の眼目は、周王が発した命令が、殷の祭儀を成周で行なえというものであった点。しかもそれをホウ京という所で発したという点である。

 

「象形文字」ではなく「形象文字」といえば適切な表現になる

 最近、やっと気付いたことがあるので、記しておきたい。
 以前、拙論で「言葉の意味するところをイメージで描き出した文字が初期漢字の甲骨文・金文だということ」と書いたことがある。少し前から引用しておこう。

 《「古代語」という槪念を立てて、付加要素を「限定符」と名付け、言語と文字との関係を考えてきた過程で気付いたことがあるので、そのことを最初に記しておきたい。「象形」槪念に関するものである。甲骨文・金文は、言葉で伝えるべき事物や形姿・場面・図解・図示の類をシンボリックに描くことによって、「イメージ」として伝えようとした文字である。これが「象形」という言葉で説明されてきたことの本質であって、単に物の形を表わすだけが「象形」なのではない。むしろ「何をしているところかを描いている文字」という言い方をする方が適切な場合がある。こう捉えることができれば、「会意」だが「全体象形」であるとか、「会意」だが「場面象形」であるなどと苦しい言い方をしなくても済むわけである。言葉の意味するところをイメージで描き出した文字が初期漢字の甲骨文・金文だということを何度も強調しておきたい。》

 「言葉をイメージで伝えようとする文字」であるからこれを一語に集約すれば「イメージ文字」ということになるが、「イメージ」という語は日本語では「形象」と訳してきた。ということは「象形文字」を「形象文字」と言い換えれば、本質を捉えた言い方になるのである。熟語の前後をひっくり返すだけで意味するところが大きく変わる。言葉というものは面白いものだ。

 以下、これも引用だが、前述の引用箇所が一段落するところ。

 《一方、文字から言葉の意味するところを読み取る側からすれば、そこに記された「イメージ」を通して、言葉が発せられた場を追体験することが求められている。言葉を表現する者とそれを理解しようとする者との関係はこのような構造になっているのが、「古代語」の世界である。その言語場を追体験するということ。それがどこまでできるかが、甲骨文・金文を理解する上での鍵を握っている。観点を換えると、イメージ化された文字の形からは、表現者の言葉に対する認識の仕方が窺われるということでもある。》

 

安倍晋三の死を悼む

 安倍晋三国葬に反対する気持ちはない。安倍晋三の死を悼む気持ちが抑えがたくあるからだ。それは岸田首相の後、第三次安倍内閣が再開するのを期待していたからだと思う。安倍の考えに全面的に賛成している訳ではないのだが、周りを見渡して、政治家としての安倍の力量に及ぶ者はいないというのが、その理由だ。一部の例外を除いては、心の底から信頼し尊敬できる政治家などいないのが現実で、相対的に賛成できる人物に一票を投ずるというのが私の考えである。一部の例外というのは例えば、台湾の元総統李登輝のような政治家である。

 

 振り返ってみれば、私は元々安倍晋三の支持者ではなかった。今でも思い出すのだが、安倍の『美しい国へ』(文春新書)を読んだ時の感想は「ちょっと危ないな。(祖父の)岸信介のできなかったことをやる気らしい」というものだった。それで第二次安倍内閣の1年目はずっと疑いの目で見ていた。その頃の私の支持政党は民主党(分裂前の政党名)だった。民主党政権の時も応援していたし、民主党が政権から転落した後も応援していた。それが第二次安倍内閣の1年目だ。だから安倍首相の復活1年目は、監視する目で安倍の言動を観察していたということになる。

 

 だがアメリカの大統領がトランプになり、その強烈な政治手法によって、対米関係が非常に難しい局面になった。さて安倍はこの難局にどのように対処するだろうと見ていたわけである。だがそれは結果的に杞憂であった。トランプとの間に友人関係を結び、日本に対する圧力を和らげる方向に進めていった。日本の政治家でこのようなことができる人が他にいるだろうか? その頃、「安倍やめろ!」のデモが起きたり、「安倍の悪いのは自明のことだ」という独善的で党派的な意見が醜悪に見えたのは自然なことである。そして、安倍晋三という政治家が意外なほど周囲の意見に耳を傾け受け入れる人であることが分かった点も大きい。どこかの政党のように理屈だけで政治を語るのではなく、より現実的なやり方を選ぶという姿勢を持っていることも分った。この時私は民主党支持をきっぱり止め、安倍が首相をやっている自民党を支持することにしたのである。私が政党を選ぶ基準は、優れた政治家がいる政党、その人が実力を発揮できる環境にある政党である。

 

 私は今は自民党に投票することが多くなったが、別の政党に投票することもある。それはこの人がいる政党なら試しに投票してみるかなというような選び方である。投票しないことにしているのは共産党社民党立憲民主党くらいだが、これも将来は分からない。今の野党の中にも優れた政治家になる素質をもった人がいるはずだし、何となくそういう目で政治の世界を見ているのだと思う。日本の政党は共産党を除けば、政権の坐に着くとみな「自民党」になるという性質をもっている。野党だから、自民党とは言うことや看板が違っているのだが、中身は自民党なのである。これに気付いた初めは、社会党だった村山富市が首相になった時、そして民主党政権の時である。それでもその頃民主党を応援していた。自民党以外の政党が育ってほしいという気持ちが強かったからである。だが、今はそういう発想はない。優れた政治家になりそうな人を探しているということなのだと思う。そんな時に安倍晋三が凶弾に倒れた。残念な気持ちにならないわけがないのだ。

 

次回10月1日(土)の公開講座《金文講座》は青銅器鑑賞です。

 前々回に予告しておりましたように次回10月1日(土)は下記の要領で青銅器鑑賞と致します。
 1、日時  10月1日(土) 14:00~15:30
 2、場所  泉屋博古館京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24)
 3、参加費 1,000円(入場料)
 4、集合は泉屋博古館玄関前。

 残念ながら、館内は今もソーシャル・ディスタンスを求めていますので、そのように致します。あまり詳しい解説などできませんが、適宜工夫します。

 

 【高島敏夫《金文講座》 ──白川静『金文通釈』に沿って】に6篇アップしました。

 【高島敏夫《金文講座》 ──白川静『金文通釈』に沿って】に6篇アップしました。
  今回は(四)として「成周庶殷関係の銘文と王姜関係の銘文を読む」と題しました。

 西周時代初期の殷系氏族の金文ですから、後世の金文と色々違う現象が見られます。「寶」という文字を「缶」字形だけで表わしたり、他にも色々あってなかなか油断なりません。文字の変遷を単純化して理解しようとするとお手上げですが、発想を転換してむしろこういう現象を面白いと思って頂いた方が、古代文字の現実に順応しやすいと思います。

 小生、数日前まで今夏の猛暑でへばっておりましたが、二、三日前から元気を回復しつつあります。公開講座の時には元気な姿で臨めそうです。みなさんはいかがでしょう?


018~023のテキストはここからダウンロードできます https://drive.google.com/file/d/18mJRuxBUMFP6w1eC1wjD01SvhaeuOQyI/view?usp=sharing

【018《金文講座》019 五侯𢓊卣(保卣)】https://youtu.be/mBuKFQRpHA4
 今回は018~026を(四)として成周庶殷関係と王姜関係の銘文を読んでいきます。この銘文は五と呼ばれる地域を支配していた五侯𢓊が、西周王朝の傘下に入る意思を表明したことを物語る内容になっています。


【019《金文講座》020 [走𠳋]卣】https://youtu.be/mE64LX8Cho4
 十三月が出てくる銘文。これを年末置閏法という。作器者が王から采地を与えられたことが記された銘文。母方の姞の家のために寶彝を作ったという。テキストには特殊なフォントを使っているので、合成字 [走𠳋]で記した。


【020《金文講座》021 ゴウ刼尊】https://youtu.be/BOoBgynv02Y
 変わった名前の作器者でこれも特殊なフォントを使っているので記せない。この銘文には他にあまり例のない表現が見られる点が興味深い。「征」が「𢓊」と記され、「寶」が「缶」だけで記されるというように、省略する傾向がある。「尊」も西周時代の他の銘文には見られない省略した字形になっている。こういう特殊な文字表現も記憶に留めておく必要がある。


【021《金文講座》022 ケイ鼎】https://youtu.be/xd-EdL9UyMU
 成王が東夷を討伐した時に実際に従軍した人たちの名前が知るされた銘文。王自身が軍の指揮を執ったのではなく、王命を受けた溓公が将軍として命令を発したもの。戦利品が貝である点が興味深い。人名のケイを動画で表示できるフォントがないので「ケイ」と記した。


【022《金文講座》023 員卣・024 員方鼎】https://youtu.be/YZIrlYtT7Rg
 《員卣》は、員が正規軍に先行して鄶の国に入り「金」を得たことを記したもの。《員方鼎》は、王が田猟地で狩りをした時に、員が猟犬を巧みに操って王の狩りに役立ったことを褒められたという銘文。文末に殷室出自であることを示す「図象標識」を記している。


【023《金文講座》025 作册睘卣・026 キ伯卣蓋】https://youtu.be/RYTEUu7taB0
 《作册睘卣》は、成王の妃である王姜が作册睘に発令して、夷伯を安んぜしめたことを記したもの。作册睘は殷系氏族である。王も同席する場で王姜がなぜ発令したのか、どういう背景があったのかという謎を残している。関連器である《作册睘尊》には「族徽」が記されているが、近年の殷墟の発掘によって同じ族徽が記された青銅器が出土した点にも言及した。《キ伯卣蓋》は殷系氏族の「キ伯」が王姜から貝を賜与されたことを記したもの。