高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

安倍晋三の死を悼む

 安倍晋三国葬に反対する気持ちはない。安倍晋三の死を悼む気持ちが抑えがたくあるからだ。それは岸田首相の後、第三次安倍内閣が再開するのを期待していたからだと思う。安倍の考えに全面的に賛成している訳ではないのだが、周りを見渡して、政治家としての安倍の力量に及ぶ者はいないというのが、その理由だ。一部の例外を除いては、心の底から信頼し尊敬できる政治家などいないのが現実で、相対的に賛成できる人物に一票を投ずるというのが私の考えである。一部の例外というのは例えば、台湾の元総統李登輝のような政治家である。

 

 振り返ってみれば、私は元々安倍晋三の支持者ではなかった。今でも思い出すのだが、安倍の『美しい国へ』(文春新書)を読んだ時の感想は「ちょっと危ないな。(祖父の)岸信介のできなかったことをやる気らしい」というものだった。それで第二次安倍内閣の1年目はずっと疑いの目で見ていた。その頃の私の支持政党は民主党(分裂前の政党名)だった。民主党政権の時も応援していたし、民主党が政権から転落した後も応援していた。それが第二次安倍内閣の1年目だ。だから安倍首相の復活1年目は、監視する目で安倍の言動を観察していたということになる。

 

 だがアメリカの大統領がトランプになり、その強烈な政治手法によって、対米関係が非常に難しい局面になった。さて安倍はこの難局にどのように対処するだろうと見ていたわけである。だがそれは結果的に杞憂であった。トランプとの間に友人関係を結び、日本に対する圧力を和らげる方向に進めていった。日本の政治家でこのようなことができる人が他にいるだろうか? その頃、「安倍やめろ!」のデモが起きたり、「安倍の悪いのは自明のことだ」という独善的で党派的な意見が醜悪に見えたのは自然なことである。そして、安倍晋三という政治家が意外なほど周囲の意見に耳を傾け受け入れる人であることが分かった点も大きい。どこかの政党のように理屈だけで政治を語るのではなく、より現実的なやり方を選ぶという姿勢を持っていることも分った。この時私は民主党支持をきっぱり止め、安倍が首相をやっている自民党を支持することにしたのである。私が政党を選ぶ基準は、優れた政治家がいる政党、その人が実力を発揮できる環境にある政党である。

 

 私は今は自民党に投票することが多くなったが、別の政党に投票することもある。それはこの人がいる政党なら試しに投票してみるかなというような選び方である。投票しないことにしているのは共産党社民党立憲民主党くらいだが、これも将来は分からない。今の野党の中にも優れた政治家になる素質をもった人がいるはずだし、何となくそういう目で政治の世界を見ているのだと思う。日本の政党は共産党を除けば、政権の坐に着くとみな「自民党」になるという性質をもっている。野党だから、自民党とは言うことや看板が違っているのだが、中身は自民党なのである。これに気付いた初めは、社会党だった村山富市が首相になった時、そして民主党政権の時である。それでもその頃民主党を応援していた。自民党以外の政党が育ってほしいという気持ちが強かったからである。だが、今はそういう発想はない。優れた政治家になりそうな人を探しているということなのだと思う。そんな時に安倍晋三が凶弾に倒れた。残念な気持ちにならないわけがないのだ。