高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

ふとこんなことを考えた

 年が明け年度が終わろうとする。奇妙な時期である。今年度を振り返る時期でありまた新年度をどのように過ごすかを考える時期でもある。手帳はかなり前から一月始まりのものにしている。人それぞれだが私はこの方が使いやすい。また公式には一週間の始まりは日曜日だが、私の手帳では月曜日から始まる。週末は土曜日だが、土・日が週末だと意識したい。そして月曜日からまた新しく一週間が始まるという意識を持つ方が私の場合健康に良いような気がする。

 

 研究方面の仕事は想定外の展開になっている。十年前なら解けそうになかった難問をテーマにする作業が続いている。一つの難問を解くとそれが一旦ゴールにはなるのだが、そのゴールから生まれるまた新たな難問が姿を現わすという展開。その新たな難問は以前に何らかの形で考えたことのある問題だが、暫くの間脳裡から姿を消していたものである。だから久しぶりにお目にかかった相手のような印象がある。一度考えたことがあるとはいえ、その時は解く手掛かりをもたなかったので、暫くの間忘れていたのだ。そして一つの難問を解いた後、それを解く手掛かりを得た。それで今度は自分の出番だという感じで姿を現わすという具合になっているのだと思う。もちろん今度は何とか解けそうな問題として現われるのだが。なぜこのような進み具合になるのかは自分でも分からないが、意識のどこかでずっと気に懸けていたのだと思う。他人事のような言い方で変だとは思うのだが。
 あまり人が取り組もうとはしない難問を解くというのは厳しい修業のようなものだが、それを解くことができれば腕が上がる。そしてより高度な難問にも取り組むことができるようになるという仕組みになっているのだと思う。これも若い時には予想もしなかったことである。
 こういうことが可能になった最も大きな原因は、言語の構造や用例の分析に習熟してきたことによるものだと思う。「習熟」とは、もともと持ってはいなかった能力を習得することだといってもいいだろう。言語の用例分析などどうやってやるのか最初は分からなかった。したがって五里霧中を試行錯誤で進むしかなかった。振り返ってみれば挫折の連続である。そして挫折から再び起き上がりまた試みるということの連続だった。そんなことを繰り返しているうちに、知らず識らずに腕を上げてきたということなのではないかと思う。言わずもがなのことだが、言語の構造や用例の分析ができないと言語に絡む難問は解けない。文学作品の場合だけでなく、出土資料や伝承資料でも、重要な問題は言語に絡む問題であるから避けて通れないはずである。やるべきことは決まっているのだ。

 

 用例分析を積み重ねてきた者として一言アドバイスをしておきたい。それは「用例分析」は最初は時間もかかり労力(めげずに続ける粘り強さ)も一通りではないが、「用例分析」の経験は必ず自分の中にデータとして蓄積されるということである。「用例分析」によって直ぐに良い結果を生み出すことができなくて、徒労だったと思うことも少なくないのだが、うまく出来なかったことも含めて、「用例分析」の経験を積み重ねることが、データとして自分の中に蓄積されるわけである。それによって、「用例分析」の作業そのものが次第に苦痛でなくなっていくという具合に進んでいくのである。苦痛でなくなる分、作業効率も上がるし速くもなるのだが、速くなること自体は重要ではない。むしろ警戒すべきである。苦痛でなくなるということの方が重要なのである。そうなれば一山越えたことになる。これが次の一歩を踏み出す大きな力になるのである。自分の中に用例分析のデータが蓄積されてきたという実感は、かなり後で分かる時がくる。
 先ずは、用例を分析した良い論文を読むことから始めなければならない。だが、そのような論文を読むこと自体が苦痛である限り、用例分析という作業を始めることなどできないのである。この理屈は分かるはずだ。白川静の『甲骨金文学論叢』所収の論文を読むのが大変なのは、甲骨文の用例を徹底的に集めてきてそれを分析することによって結論が導かれる論文だからである。白川文字学を批判する人の中に、用例分析に基づかない文字学だというようなことを、述べ立てる者がいるが、そうした人がどのような人たちであるのかは、自ずから分かるであろう。

 最後尾に用例分析に関するアドバイスを加筆した。  2019.5.28