高島敏夫の研究室

白川文字学第二世代です。2017年8月にはてなダイアリーから引っ越してきました。少しずつ書き継いでいきます。

国民に国旗と「君が代」を強要するのは為政者自身が愛国心をもっていないからだ

 国旗を掲揚し「君が代」を歌うことを強制する。こういう法律を決めて何をもたらすかを為政者の立場にある人たちは冷静に考えたことがあるのだろうか? 国民にこういうことを強制する人々というのは、人の心の働きをあまり考えない人たちに違いない。だから理屈だけで物事を進めようとするのである。こういう人たちは生活者としての苦労もない人たちに違いない。考え方が公式的過ぎるのである。法律さえ決めれば後は守らざるを得ないだろうという安直な考え方をしてしまっているのだ。
 理屈だけで物事を考える一例として、以前、「命の大切さとは何を意味するのか?」という一文を書いたことがある。つまり、人殺しをするのは命の大切さを知らないからだ、という論法がけっこうまかり通っているが、これは単なる形式論理に過ぎないということ述べたことがある。
 国旗を掲揚し「君が代」を歌うことを強制することによって愛国心が育つと思っている人は、ご自身が強制されることの好きな人なのかも知れないが、実は逆ではないか? 強制されないとできない人たちなのだと思う。しかし強制されてからやるのだから、心からそう思うわけではないのだ。一応表面上「みんな」に合わせているだけのことである。こう考えると愛国心を持っていないのは、むしろ国民にそれを強制しようとしている人たちなのである。そして表面上は愛国心を持っていることを装っているけれど、実際には愛国心などない人たち、それが、国旗を掲揚し「君が代」を歌うことを国民に強制する人たちなのである。国民が愛国心を持っていないと疑うのは、自分が愛国心を持っていないからである。実に皮肉なことではないか?
 以前、将棋の米長邦雄元名人が東京都教育委員を務めていた頃、天皇さん(今は亡き国際政治学者の高坂正堯が「天皇さん」と言っていた言い方が私は好きなので、「天皇さん」という言い方を使わせてもらう)と会った時に、全員起立させてみせます、というようなことを言っていた場面をテレビで放映していたのを見たことがある。記憶でいうので表現の仕方は正確ではないかも知れない。しかしその時「天皇さん」が米長邦雄に言ったことははっきり覚えている。「強制にならなければいいのですが……」と仰ったのである。これは天皇という地位にある人にしか言えない的を射た言葉である。